アメリカンスナイパーを徹底解説 仕事について考えさせられる映画

「このアメリカンスナイパーという映画は仕事について述べている」
「仕事によって、働き方によって人間は崩壊する」
これが私の私見である。

これほどまでに、集団意識から、個に焦点を当て、そして、それを普遍的に描いている作品はないと思う。
素晴らしい映画だ。

後述で詳しく私見を述べたいと思う。

今回のレビューを書くに当たって、私は、いろんな方が行っている考察のように「戦争」についてはそこまで述べるつもりはない。

マイケルムーアを批判することも、ミシェル・オバマ大統領夫人が擁護したことも述べるつもりはない。

また、犯人の裁判に影響しただろうことも述べない。

これを最初に観たときも、また、改めて今回観たときも感想は一緒だった。

映画が行ったように集団から個に落とし込み、自身の経験に則して、解説していきたい。

icco

満足度(0%)

まだ見ていない

お杉

満足度(95%)

イーストウッドは素晴らしい。

弱い人間がうつ病になるのではない

仕事で頭がいっぱいになった経験はお持ちだろうか?

仕事に熱心になりすぎて、周りが見えなくなってしまった経験はお持ちだろうか?

プライベートと仕事との差が大きすぎて、悩んだ経験はお持ちだろうか?

仕事により、うつ病になった経験はお持ちだろうか?

これらは、もうすでに個の問題ではない。
日本社会全体が抱える問題である。

弱い人間がうつ病になるのではない。

それが、今回の「アメリカンスナイパー」で、証明されたのではないだろうか。

この「アメリカンスナイパー」を、アメリカの戦争で、PTSD(心的外傷後ストレス障害)になった話で、戦争批判を述べたものとして解釈するのはもったいない。

私は、度々、このブログの中で、「時代が変化している」「時代の変化に合わせなければいけない」と述べてきた。
それを肯定することについて詳しく述べることは他の記事で書いてあるので避けるが、「アメリカンスナイパー」がまさにその通りだろう。

あらすじとカイルの心情

まずは、「アメリカンスナイパー」に則して、映画的構造を解説していく。

カイルは田舎育ちの牧場育ちだ。
映画でも描かれていたように、「男は強くあれ」「家族を守るんだ」と教育されている。
したがって、カイルは、弟思いのいい兄だ。

20代は、ロデオで賞金を稼いでいる人生にも、くすぶっていたのだろう。
アメリカを襲ったテロをきっかけに軍に入隊することを決意する。

ここに来ると、カイルの中で「家族」が「国」に変換する。
カイルの視野が広くなるのだ。

厳しい訓練を受けた後、実際の現場に。

「国を守る仕事」という名の、「名誉ある殺人」を行う。
そして、スナイパーとしても、一軍人としても優秀な成績を収め、「伝説」となる。

一方、中東のその戦場と、アメリカ国内の一般家庭の中との「差」に心情が追いつかない。

カイルの心の中にはずっと「国を守る仕事」があり、守っているはずの平和に暮らす人々さえ、「責任」がないように見えてくる。

カイルの中での変化は、弟の言葉がきっかけだったのではないだろうか。

「ファック プレイス」

弟の様子がおかしかったことと同時に、自分が行ってきたことを否定されたような気持ちになったはずだ。
今まで、守ってきた弟。
そして、慕ってきた弟が、また、自分についてきて同じように軍に入隊した弟。
その弟が、自分が責任を果たし、国を守っていると少なからず自負し、自信を持って戦っている場所を否定したのだ。

ここからカイルの中で変化が起こってくる。
だんだんと自分の行っていることに疑問を感じ始めるのだ。

仲間が打たれる。
一人は即死。
仲間が死に、死ぬ前に書いた手紙が原因だと罵る。
もう一人の仲間は失明。
妻には自分が死んだら再婚しろと。
そして、出発前にもう一人の仲間の死を知る。

カイルは当初の国を守ることから、仲間のための復讐に転換されていく。

仲間の復讐を果たそうとするカイルの前に現れるのは、ミサイルを撃とうとする子供だ。
子供がそれを手放さなければ、カイルは子供を撃たなければいけない。

自分の子供と同じくらいの年齢の子供。
しかし、撃たなければ、同じように仲間を失う。

ここのシーンは、すごい。
カイルの葛藤が、私の脈拍まであげて、ドキドキさせたのがわかった。

カイルは、ライバルのスナイパーを倒す。

そして、妻に電話で「もう軍をやめる」と電話をするのだ。

この時、カイルは、復讐を果たし、「家族のために生きる」ことを選択する。

アメリカに戻ったカイルは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)になる。

そして、退役軍人と接する中、だんだんと回復し、最後は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の退役軍人に殺されてしまう。

あらすじとカイルの心情は、このようなところだ。

弱い人間がうつ病になるのではない

まず、冒頭が、幼少期から入る。
これが、「戦争映画」だけで観たくない点はここである。

あくまでも「カイル」の話なのだ。

つまり、「戦争」がどうこうではなく、カイルが「戦争」によってどうなったか。
いや、「軍人」になってどうなったか。
「仕事」によってどうなったか、だと思う。

番犬になること

カイルの中で思い描く「正義」や「責任感」が、だんだんと現実と合わなくなってくる。
カイルにとって、「国を守る」=「大切な人を守る」であり、冒頭の幼少期の記憶からくる。

父の言葉だ。
カイルは、弟がいじめられているところに助けに入った。
いじめているやつをボコボコにする。
そして、食事中に父が説教をする。

「人間は3種類だ。羊、狼、番犬」
「悪はいないと自分を守れない羊」
「弱いものに襲いかかる狼」
「力を持ち、羊を狼から守る番犬」
「うちでは、羊は育てない。狼になったら、許さない。家族を守れ」

と。

これがカイルの人格形成に大きく影響していることは、疑いないだろう。

しかし、カイルは、仲間の死をもって「神の裁き」=「試練」を受ける。

試練に耐えること

教会でのミサだ。

「パウロは、信仰ゆえに裁きを受ける」
「(しかし、神が与えた試練であるから)神と同じ視点に立たなければ理解できない(神を信じ、試練に耐えましょう)」

これら二つがこの映画のすべての伏線になっているのだ。

つまり、父の教え通りに、

「弱き家族を守る」
=「国を守る責任感」
=「中東での活躍」

と番犬の役割をする。

しかし、その「信仰」=「信念」ゆえに、

「現実の自分の家族との溝」
=「弟との溝」
=「仲間の死」
=「神の裁き」

が襲いかかる。

そして、カイル自身、最後には、同志である番犬だった退役軍人に殺されてしまうのだ。
つまり、羊になってしまう。

これは、前半の2つの哲学を全面否定する事柄だ。

実際のカイルからの補足

私の読んだ記事が間違えでなければ、この映画の製作中は、モデルとなるカイル自身は、まだ亡くなっていなかった。
製作途中で、亡くなってしまったのだ。
したがって、全体の内容変更をしたのだと思う。
だから、冒頭に過去の回想を入れて、ここまで引っ張ったのだと解釈した。
これは完全なる私見だ。

しかし、途中、カイルが戦場で聖書を開いていない点を、仲間に言われる。
「弾除けか?」と。
かなり手の込んだメタファーだ。

イーストウッドのみが作れる映画

つまり、カイルにとって、今まで信じてきたことが、「戦争」というものによってすべて打ち砕かれるのだ。

クリント・イーストウッドは、私のもっとも好きな監督だ。
彼の作品は、アメリカにとってタブーなものが多い。
アメリカにとって、痛いところを付く。
それを製作でき、そして、評価されることのすごさ。
評価することも、否定することも、する側は、危険を伴う。
自分の仕事がなくなる可能性があるのだ。
だからこそ、その中でもこれだけのクオリティの作品を世に出せるクリント・イーストウッドは素晴らしい。
こういった映画はイーストウッドしか作れないのだ。

イーストウッドとしては、きっと、この前述した2つを否定することでこの映画の伝えたいことは伝わったと思う。

それは、彼の今までの作品を観ても、そこまで複雑ではない。
純粋に、まっすぐに、伝えてくれるからだ。

だから、アメリカンスナイパーも非常にわかりやすい映画だ。

実体験も基づく見解

では、ここからは私見を述べさせていただく。

初見の時「アメリカンスナイパー」は「仕事」をテーマにした映画だと思った。

そして、今回、改めて観直しても、その考えは変わらなかった。
カイルは「軍人」という「仕事」によって人格を壊し、そして、死んでいったのだ。

仕事が全てになってしまう人生

私も仕事人間な部分がある。

仕事に没頭すると、周りが見えなくなりがちだ。
自分の正義を振りかざしてしまう。

これは、前時代的な「努力」「根性」を全面に押し出す指導方針や哲学を持っている方は、理解されると思う。

仕事で、プライベートの時間がない。
仕事で、友人と会う時間がない。
仕事の夢を見て、彼女といても仕事の話しかでない。
成果のため、同僚や後輩に、責任という名のパワハラを行い。
理解できなければ、叱責する。
また、人格否定をする。

私もそういった一面があった。
正直、そういう一面が悪なのは、気がついていた。
申し訳ない気持ち、それをやめたい気持ちもあった。

しかし、

「それができるような状況ではない」

が、当時の自分の率直な感想だろう。

「成果」「責任」を押し付けられると、それをできない人間を悪だと思い始める。
仕事に陶酔している自分を美化する。
仕事が全てになってしまう人生を歩む。
そして、現実との差に苦悩するのだ。

仕事と私生活の悪循環

私は、そうなる前に早々に辞めた。
もともと、人を叱責したら、怒ったりすることが嫌いだ。

どちらかと言えば冗談だけ言っていたい。笑わせたい。
小学校の時の夢は、「サッカー選手かお笑い芸人」だった。
それほど、「笑い」は好きなのだ。

しかし、「責任」が発生すると、同時に「悪」が発生する。
カイルも同じだが、「責任」に対するプレッシャーに耐えられなくて人に当たるのではない。
「守る」という視点からだからだ。

仕事で言えば、無駄をなくし、効率的に、成果をあげる。
これがもっともいいこと、とされがちだ。
そして、それに反することはすべて「悪」になる。
成果をあげられない人間は「無意味」な存在になる。
会社の中の立場をそうさせたくないから「怒る」ということになる。

これが私は嫌だった。
すごく嫌だった。

しかし、組織にいる以上、ルールを完全に無視することはできない。
ルールを守れない、守りたくないなら、離れるしかない。

だんだん、私生活が仕事になる。
仕事をよくするために、私生活の時間を使い、仕事に当てる。
仕事と私生活の悪循環になっていくのだ。

そして、私生活でも仕事を適用しようとする。
それが家族に降りかかっていく。

仕事における「やりがい」

また、仕事において言えば、「やりがい」も大きな重要な点だろう。

「給料が低くてもやりたいことをやれていれば満足」
こういう選択をする方もいるはずだ。

「ある程度の給料であれば、ある程度のやりがいを感じていたい」
こう思うのが普通だと思う。

しかし、その「やりがい」がただ単に、企業のため。
また、ぼんやりとした無意味なもの。
もしくは、ただの「利益」が目的の時、精神は崩壊する。

これがカイルの状況だったのではないだろうか。

人間は、お金がなくても生きていける。
これは、現実的な話ではなく、生物学的な話だ。
つまり、住み込みでも、食事を出してもらえてれば、生きていける。

では、給料をもらわずでも、普通に「生きる」ことができて、それでも働きたいと思う「やりがい」は何だろうか。

私の人生はこれを見つけることかと思っている。

やりたい仕事、お金のための仕事、何のために働くか。
この問いは大きなものではないか。

アメリカンスナイパーは日本にあっている映画

例えば、好きでもない商材を売る営業マン。
嘘をついてまで売り上げを立て続けているとすると、それは、精神的に異常者だ。
嘘をつくことにためらいを感じない人もいるだろう。
嘘をつくことで自分を保っている人もいるだろう。
しかし、嘘をつき続けることは、アイデンティティを崩壊することだ。
必ず崩壊する。

例えば、他人を蹴落としてまで勝ち上がるとする。
もちろん資本主義は、競争原理なので、淘汰されて仕方がない。
しかし、ズルをして勝ったとしよう。
これを続けることで精神を保てるのか。
ズルで蹴落とした相手、その家族、その周囲の人はどうなるのか。
そこを想像した時に精神を保てるのか。

例えば、自分が感じていたやりがいが、悪だったと気がついた。
人の不幸のために成り立つものだと知った。
その時、精神を保てるか。

これらすべては、「アメリカンスナイパー」で描かれていることである。

カイルは、家族にも話せないことで妻が心が離れるのを感じる。

中東の子供を撃たなけれがいけないシーンで、殺したくないと強く願っている。
(カウンセリングで160人殺したことを後悔してないというが、ここは意味が違う)

自分が背負ってきた「守るという責任」が崩壊していることに気がつく。

私は、この「アメリカンスナイパー」を観て、なんと今の日本社会にあっているのかと思った。

ブラック企業の実態

「アメリカンスナイパー」が発表された2014年は今ほど、「ブラック企業」という言葉が出始めで、今ほど「ブラック企業」=「悪」だとは思われていなかったと思う。
まだ、「ブラック企業と否定するやつは、やる気がないんだ」「実力がないからだ」という風潮があった。
あくまでも、企業側の意見が、前時代的な意見が、主になっていたかと思う。

しかし、私は働いてきて、ずっと、自分と社会と同僚・後輩に対し、矛盾を感じていた。
その点の確信を「アメリカンスナイパー」がついたのだ。

「企業を守る」=「売り上げをたてる」

から

「予算を削る」
「人件費を削る」
「長時間労働」

となっていく。

しかし、経営者にセンスがあれば、これをする必要がない。
ビジネスマンとして、力があればこれをする必要がない。

つまり、ブラック企業とは、これをする力がない人間が経営をしているから、部下に無理強いをしなければいけないのだ。
労働基準法すら守れない会社が、社会貢献的役割を仕事を通してできるのだろうか。
その会社は、ボランティアをしたいのか。
その会社は、従業員に苦役を強いたいのか。

力がなければ、退く。
これが資本主義である。

最後に

矛盾するようだが、私は、「給料が安い」「労働時間が長い」などを否定するつもりはない。
好きで働いている人は働けばいいのだ。
しかし、それを人に強要してはいけない。

今、私は、個人事業主なので、休みなどない。
しかし、残業などはしていない。
そして、長時間労働をする時もある。
10分くらいだけ働くときもある。
月収もバラバラだ。
いい時も悪い時もある。

しかし、会社員の時より、他の仕事をしていた時よりも数百倍「やりがい」がある。

そして、いつか私に実力がついた時に、この「やりがい」を社会に還元したいとも思っている。
私が感じてきたような苦しみを、もう他の人が感じないように。
フィーリングが合わないだけで、仕事ができないと罵られないように。
長時間労働で苦しまないように。

仕事の対価として「給料」は必要だ。
そして、休まなければいい仕事はできない。
したがって、「長時間労働」も非効率的である。

その上で、「やりがい」を感じる仕事。

「長時間労働」をしても、他で補填し、しっかりと休息を取れる仕事。
対価にあった給料をもらえる仕事。
私生活においても、いい影響を及ぼす仕事。
贅沢をできなくても、生きていることを感じることができる仕事。
社会貢献できる仕事。
人を幸せにできる仕事。

今後の社会では、この「やりがい」が重要なのではないだろうか。
そして、その「やりがい」をどこに置くかの選択のレベルは、哲学や道徳が担うべきことではないだろうか。

「働く」の語源は「はた・らく」と分解され、「はた」=「他人」を「楽」にすることだ。

その相互関係で、社会は成り立つのである。
したがって、「仕事」で人間が崩壊してしまう仕事は、悪である。

監督 クリント・イーストウッド
脚本 ジェイソン・ホール
原作 クリス・カイル『ネイビー・シールズ最強の狙撃手』
製作 クリント・イーストウッド
ロバート・ロレンツ
ピーター・モーガン
アンドリュー・ラザール
ブラッドリー・クーパー
撮影 トム・スターン
編集 ジョエル・コックス
ゲイリー・D・ローチ
出演者
ブラッドリー・クーパー
シエナ・ミラー
マックス・チャールズ
ルーク・グライムス
カイル・ガルナー
サム・ジェーガー
ジェイク・マクドーマン
コリー・ハードリクト
icco
私は働きたくない、ただひたすらに専業主夫として生きていきたい。でも、お皿も洗いたくない、掃除もしたくない。

そう、ただ旅行に行って贅沢して、、、いや、チャーハン食べたいだけなのである!

お杉

totoBIG当たりますように!
totoBIG当たりますように!
totoBIG当たりますように!
でも、当たってもiccoにだけは絶対に言わない。

ぜひコメントをお寄せください
こちらから下記「レビューを書く」をクリックしていだくと記事に対するコメントを書いていただくことができます。
サイト運営上、過激表現ある場合、反映できませんので、ご了承くださいませ。
表現に問題がなければ、そのまま反映されます。
レビューを投稿する
1
2
3
4
5
送信する
     
キャンセル

レビューを投稿する

平均:  
 0 レビュー



アメリカンスナイパー

ABOUTこの記事をかいた人

お杉

僕の記事を読んで、新たな視点で映画を観れる機会ができればうれしいです。 基本的には観ている人向けに書いてます。 アイコンに引っ張られずに、記事だけ読んでください。 お願いします。アイコンには引っ張られないでください。 お願いします。