この映画は過去2回観ました。今回が3回目。状況によって全然感想が違うんですね。
今回は、完全にミランダ批判です。仕事の姿勢について。
ファッション業界もそうだと思いますが、その他の業界もまだ、無茶苦茶なパワハラを発揮しているところもあるのではないでしょうか。僕は、その一切を否定し、労働者側に立ちたいですね。
過労死してしまう責任感の強い方がもう出てこないことを祈るばかりです。
そして、比較的に全体で真面目に書いてますので、ここでさらっと言いますが…
エミリー・ブラントは可愛い。
あの年(社会人というか、子供ではない年齢)で、あんなに口をぽかんと開けて驚ける人、そして、その顔をしても許される人がいるでしょうか。
可愛い。
では、この後は、エミリー・ブラントには触れず、解説していきます。


満足度
アン・ハサウェイはあまりタイプではないです。
あらすじ
アンドレアは、ジャーナリスト志望。しかし、転々として、最高峰のファッション誌「ランウェイ」の面接を受ける。
有名大学を卒業したアンドレアだったが、ファッションとは無縁。しかし、ランウェイは女性が誰でも憧れる雑誌だった。それすらも知らないアンドレア。
編集長を務めるミランダは、業界ではトップ。ミランダの一言で全てが動くほどの力の持ち主。
「ランウェイ」では、全てがミランダ中心に動く。そんなところに面接に来たアンドレアだった。
ミランダは、プライベートも仕事も、全てアシスタントにガンガン伝える。第一アシスタントに上がったばかりのエミリー。聞き漏らすまいとメモを取る。
面接もどちらかといえば、ミランダの批評で終わる。アンドレアは、自分のことを話すが、ほとんど取り合ってもらえない。アンドレア自身もこの会社には合ってないことを悟る。
しかし、ミランダはアンドレアを採用する。
友人たちとの食事。彼氏もいる。みんなアンドレアが採用されたことを驚く。
次の日、早朝に呼び出される。口早に伝えられる雑用。アンドレアは全く「ランウェイ」のスピードについていけない。
アシスタントの仕事は電話を死守すること。とエミリーに言われるアンドレア。
ナイジェルはアンドレアにヒールを上げる。しかし、自分には必要ないと思うと。すると、ミランダが呼ぶ。そして、アンドレアの服装を変な目で見る。アンドレアは、すぐにヒールに履き替える。
アンドレアは、ミランダに言われたものを持ってくる。たくさんの荷物。帰ってくると、エミリーは怒る。そして、ランチに。
アンドレアはランチに。するとナイジェルも。そこにランスルーの時間変更の連絡が入る。食事もせずに戻る。
エレベーターで会長と一緒になるナイジェルとアンドレア。アンドレアは会長に励まされる。
ランスルーでは、ミランダがダメ出しをしている。アンドレアは、ベルトの違いがわからず、笑ってしまう。それが気に食わないミランダ。アンドレアの服装を、自分たちが元で流行らせたとまくし立てる。
彼氏と同棲しているアンドレア。会社の不満をぶちまける。
何日も何日も、プライベートも仕事も無茶振りされるアンドレア。
アンドレアが父と食事をする。するとミランダから電話が。嵐の中、飛行機に乗りたいと。
しかし、用意できなかったアンドレア。ミランダは失望したと。
アンドレアはナイジェルに愚痴る。ナイジェルは甘えるなと。そしてナイジェルに服をねだるアンドレア。
そして、アンドレアは、一気にオシャレになる。
アンドレアの見違えた変化。仕事も波に乗る。
いつもの4人の食事。アンドレアは、様々は貰い物を4人に渡す。
仕事で出てしまうアンドレア。
ミランダからのおつかい。パーティーに行く。そこで、トンプソンに出会う。
アンドレアは、ミランダにも「ランウェイ」にも慣れた様子。
一行は、デザイナーのコレクションを見るプレビューへ。しかし、気に食わないミランダ。
アンドレアはミランダに認められ、家に行けることに。しかし、色々とルールがある。
アンドレアはミランダの家に行く。しかし、娘と話し、上の階に上がってしまう。
次の日アンドレアはミランダから、発売前のハリーポッターを入手するように言われる。あらゆる手を使うが手に入らない。そこでトンプソンに連絡し、どうにか手に入れる。
アンドレアは、家で、ミランダの娘の宿題をする。彼氏が家に帰ってくる。彼氏とうまくいかない。
撮影の時にナイジェルに相談する。仕事がうまくいく時だと。
編集会議。色々とダメ出しをされる一行。エミリーは風邪をひいている。ミランダは、エミリーとともにアンドレアをパーティーに連れていく。しかし、アンドレアは彼氏の誕生日会がある。
ランウェイ主催のパーティー。エミリーが名前を思い出せないところで、アンドレアが名前を教える。その場を乗り切る。アンドレアが家に帰ると怒っている彼氏。
ミランダの家に行くアンドレア。すると、パリコレに同行するように言われる。
ミランダは出社すると、エミリーが第二アシスタントになったことを伝えるように言う。エミリーとアンドレアの立場が逆転する。するとエミリーは事故ってしまう。
友人の写真展。アンドレアはトンプソンに会う。そこでキスしてしまうところを見られる。友人も幻滅する。
彼氏と言い合いに。そして、一旦距離を置こうとなる。
パリへ。ミランダのプライベートな話を聞く。ナイジェルが部屋に。引き抜きがあったと。そして、トンプソンと食事へ。いい感じになって一夜を共にする。
翌日、トンプソンが、ランウェイでミランダを外す計画がある一員であることを知る。
アンドレアは急いでミランダに知らせようとする。しかし、会長と話している。
そして、発表の場。ミランダからは、トンプソンが言っていたこととは違う発表がされる。
車の中。ミランダは、会長の動きを知っていたと。そして、手を回して、阻止した話をアンドレアにする。アンドレアはその場でミランダから離れることを決意。去ってしまう。
アンドレアと彼氏が話す。やり直すことに。
アンドレアは次の面接に。そして、面接官はミランダに調査をする。そして、ミランダが褒めてたと。
過去2回とは全然違う感想
この映画は、業界トップの生き様とそのアシスタントについて語っているなと思います。
過去2回観ました。今回が3回目。そして、各回感想が違いますね。
あまり、僕個人の仕事内容を話しのはしたくないんですが、iccoが言っちゃったことで言えば映像の仕事をしてます。
その中で言える範囲の情報で言えば、1回目は、まだお給料もそんなにもらえてない時期。
2回目は、ある程度成功して波に乗った時。
そして、今回は、今は独立して、認められた時ですね。
その中で感じることが違うなっていうのが今の意見です。
その過去2回は特別振り返りませんが、過去の自分に充てる手紙のようなつもりで書きたいと思います。
ちなみに1回目は、仕事にやる気満々で、「絶対に出世する!」という意気込みの時でしたので、「わかるわかる!」という感想。
2回目は、仕事とプライベートの調整がうまくいかず、「わかるわかる!」という感想。
3回目は全然違う視点ですね。
アンドレアの悲劇
まず、アンドレアの悲劇は、ファッション業界にいたいわけではなかったということ。そして、頭が良くて、要領が良かったこと。
これが今回の映画の悲劇だと思います。
これが、アンドレアもファッション業界で働きたい人だった場合は、全く視点が変わります。つまり、「やりたいなら頑張りなさいよ」と。
しかし、アンドレアはそもそもファッション業界で働きたいわけではない。なので、「努力」を押し付けること自体、間違っていることになります。
「仕事はそういうもんだ」って声が聞こえそうですが、それはミランダのところで書きます。
アンドレアからすると、ジャーナリストになりたい。そして、この業界トップの雑誌は、そのためのステップアップでしかない。したがって、「誰もが憧れる職場」と言われても全く響きません。
「だって、そこで働きたいわけではないから」このポイントはすごくいいなって思います。
今、日本では、少子高齢化に伴い、大学であれば、大学の定員数割れが発生し、大学には誰でも入れるようになりました。仕事で言えば、会社は、落とす側ではなく、選ばれる側になります。
これは何を指すか。
これは、ミランダのように落とすことができないということです。働く側が働く場所を選び、企業が頭を下げて「うちで働いてください」という時代になりました。
つまり、一般的に言えば、企業側が偉そうにできないのです。「この仕事嫌だな」と思われたり「プラベートの時間削ってまで働きたくない」という働く側の意見が通るようになります。
僕は、これは、日本の労働環境において革新的な出来事だと思っています。
一昔前は、どの仕事、どの業種でも、ミランダみたいに「やる気がないなら明日から来なくていいわ」が言えました。それは、たくさん働く人がいたから。
しかし、労働者が少なくなった今は「こっちの条件の方がいいので、明日から行きません」が言えるようになります。つまり、会社が労働者を「大切」にしなければいけない。これが今の日本です。
「プラダを着た悪魔」で言えば、アンドレアはかろうじて、同じ業種、似た業種だったので、「ステップアップ」として、ミランダのパワハラに耐えました。
しかし、これが全くの別業種であれば?
頭のいいアンドレアは、ここにいる意味を感じません。だって、こんなパワハラは意味がないから。ここが悲劇であり、今の日本の経営陣にいい示唆をしていると思います。
日本も古い体質を変える時期に来ているはずです。
ミランダのパワハラと悲劇
次にミランダの視点で言えば、もちろん業界トップの責任を負う立場として、あれくらい人に気を使わず、自分のセンスと経験を信じて、決定を出すことはある意味で大切です。
戦争の真っ只中において、批難や中傷を恐れ、人の意見や顔色を伺って判断していたら、負けます。死にます。
そう考えると、自分で責任を負って、スピード感を持って判断することは正しい。ミランダも業界トップの責任のもと、それを行っているのでしょう。
しかし、僕はミランダのことは認められません。
「トップだからと言って、何が偉いんですか?」と。
これですね。
ミランダがすごいわけではない
とある芸能人が、言ってました。確かワイドショーで。
「議員になるから偉いんじゃなくて、議員として、国民の意見をちゃんと聞いて、動いて、解決していくから、偉いんだ」と。
これではないでしょうか。
少し意味は違いますが、一緒です。つまり、仕事の社会的立場の「すごさ」に僕は何も感じません。また、仕事を通した時その人の「すごさ」も感じません。
ミランダのセンスや判断力はすごいと思います。しかし、ミランダがすごいわけではない。ミランダ自体がすごくて、雑誌を、その服を買っているわけでもないです。
もちろん、ごく少数ではミランダが好きで買っている人はいるでしょう。しかし、それはごく少数。
議員で言えば、素晴らしい法案を通した議員がすごいのではなく、動いて、考えて、解決したその「行動」が素晴らしいんです。「議員」が素晴らしいわけではない。そして、それをできる人は威張ることはしません。だから、その「議員」も素晴らしいとなる。
ここを勘違いすると、アシスタントにプライベートな命令をしたり、業務時間外に指示したりします。そして、偉ぶったり、人をけなしたりしません。
もし、ミランダ自体がすごいのであれば、ミランダは個人事務所を立て、ミランダのお守りをすることに誇りを感じる人を雇うべきです。パワハラも甘んじて受け入れます。
しかし、エミリーもアンドレアも、その他の人も、ミランダが好きでその雑誌にいるわけではない。トップの仕事ができるからいるだけ。
ミランダのお守りをしたい人はいない。それがミランダの限界です。
多分、これほど成功した人は、聞く耳を持ちません。きっと、この記事を読んでもバカにするでしょう。でも、僕ははっきり言いますよ。
あなたに人間的魅力はゼロです。
これがミランダの悲劇ではないでしょうか。
ミランダ自体も被害者
そして、もっと言えば、ミランダ自身、会社や業界に縛られた操り人形です。「努力」でその操り人形の主役をとっただけ。
ここが3回目の感想です。
ミランダ自身も、業界の被害者です。映像もそうですが、ファッションも、美容も、「努力」やある種のカリスマ的なもの、寝ないで働いたなどを崇拝する傾向が強いと思います。
もっと言えば業種関係なく、古い体質の人はここに共感するところは多いのではないでしょうか。
これは、「自分にはできない」だとか、周囲の賞賛の声だとか、そういったものが大きく関係しているのだと思います。
また「自分の頑張った感」「やっている感」「やっていないと遅れてしまう」「やっていないと不安だ」が支えているのだと思います。
でも、一人でできることってそんなにないと思います。ミランダの仕事を見てもわかる通り、ミランダは「判断」してるだけです。自分では何も生み出してない。
ミランダが「いい」といえば「いい」その一点で成り立つ。それはすごい地位でしょう。しかし、支えているのは周りです。支えている人がいなければ、むしろ、デザイナーがいなければ無意味な存在です。
例えば、映画で言えば、監督一人しかいないのであれば、監督が自分で一人で出演した映画しかできない。つまらないですよね?周りにスタッフキャストがいるから映画が成り立つ。一人で映画は作れないのです。
つまり、一人でできることなんてないんです。そして、仕事上、不備があっても、多少意見が食い違っても、存在自体に感謝しなければいけない。働いてくれていることに感謝しなければいけない。
自分と仕事してくれて「ありがとう」が誰に対しても、いつでも言えないと、その人は人間的魅力はゼロです。
どんなカリスマでも、それは流行りです。時代マッチするだけ。本物はシェークスピアとかベートーベンとか、そういう人たちのみではないでしょうか。そこまでいくと話は変わりますが。
人の不幸の上に幸せは築けない
どんないいものを生み出しても、僕は、その裏に人の不幸があるのであれば、「いい」とは言えません。なぜなら人の不幸の上に幸福は築けないから。
映画では、ミランダが、アンドレアを認めていたということがわかります。しかし「だから?」と思います。アンドレアがミランダと一緒にいた時に失ったプライベートな時間は戻ってきません。
そして、アンドレアは、そのプライベートな時間を失わなくても、他の方法でミランダと一緒にいた時に学んだことを学べたはずです。
結局は、業界に縛られ、操り人形にされていたミランダの悲劇はここだと思います。人を不幸にしているにも関わらず、その所作に気がつかない。ここが最大の悲劇です。
とある映画で、スタッフが過労のため、交通事故で亡くなっています。その話は、映画関係者なら知っているかと思います。僕はもう映画の仕事をするつもりも、しがらみもないので言いますが、その映画を観る気にもなりません。
記事にもなっています。そして、親御さんのご意見もある。素晴らしい方々だと思います。しかし、亡くなる必要がある映画なんてあるのでしょうか。
命をかけるほど重要な仕事があるのでしょうか。
もちろん、ジョン・F・ケネディのように暗殺されたり、キング牧師のように殺されてしまったりすることはあるでしょう。
しかし、「死ぬこと」を前提とはしていないはず。自ら覚悟はしても、上司が、業界が、周りが、「死ぬこと」を前提に、その人に仕事をさせていたとすると、それはそれらの人たちの怠慢としか言えない。
映画の一スタッフや、ファッション雑誌の一アシスタントが命をかける。これほどバカげた理論はありえません。命をかけるのであれば「トップからどうぞ」で終わりです。
エミリーが事故に遭うシーンがあります。そして、入院します。ミランダはお見舞いにも来ません。ミランダは彼女の家族になんて説明するのでしょうか。自分の娘が同じような目にあった時何て思うのでしょうか。
先の話の映画では、次の日は何もなかったかのように撮影が行われていたようです。スタッフがそこにゾッとしたと言っています。
これらがミランダの悲劇であり、これらの業界、仕事の悲劇です。
最後に
仕事で悩む方も多いと思います。過労死をする方も多い。未だにいると思います。
一つは、労働基準監督署が機能していないから。完全に機能すると日本経済が止まります。したがって、見て見ぬ振りをします。
次に、経営者の意識は、事業がうまくいっている時は、変わりません。したがって、変化を待っても意味がないです。
そして、働く側は、すでに働く場所を選べる状況にあります。そこに固執する必要はないです。
パワハラなどにあっていると、怖くて言い出せないこともあるでしょう。しかし、退職届は理由に関係なく提出し、1ヶ月後には退職可能です。最悪1ヶ月間だけ我慢すればいい。
仕事で命をかける必要などないです。
仕事のための命ではない。
人をよりよく生きていくためのシステムが仕事です。
怠惰に生きてはいけないですが、仕事に縛られない生き方をぜひ選択してください。
脚本 アライン・ブロッシュ・マッケンナ
原作 ローレン・ワイズバーガー
製作 ウェンディ・フィネルマン
製作総指揮 カレン・ローゼンフェルト
ジョー・カラッシオロ・ジュニア
音楽 セオドア・シャピロ
撮影 フロリアン・バルハウス
編集 マーク・リヴォルシー
メリル・ストリープ
アン・ハサウェイ
スタンリー・トゥッチ
サイモン・ベイカー
エミリー・ブラント
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